はじめに
経営者には誰でもなれる。
だが、向き不向きは確実にある。
なりたいだけなら、誰でも名乗れる。
そこそこの会社の社員になるより、実はずっと簡単だ。
なぜなら、そこに合格はないからだ。
しかし、経営は簡単ではない。
難しいのは、なることではなく、続けることである。
日本では、事業を始めても、10年後に残っているのは1割に満たない。
それでもこの数字は、世界的に見れば、比較的、やめる確率が低い国だとされている。
それほどまでに、経営を続けるということは難しい。
経営は選択である
経営は、誰もが選択できる立場だ。
やるか、やらないかは、自分で決めていい。
ただし、向いていない人が無理に続けると、多くの場合、すぐに行き詰まる。
それは失敗ではない。やってみて、初めて分かることもある。
もし続けることが苦しく、逃げや誤魔化しが増えていくなら、
早くやめるという判断も、立派な選択だ。
経営をやめることは、人生をやめることではない。
むしろ、自分に合ったキャリアに切り替え、新しい人生を早く進めるための決断である。
無理にしがみつかない。
合わない道を引き返す勇気も、人生においては、大切な力だ。
経営に不向きな人とは
うまくいかない理由を、人や環境のせいにする人は、まず経営をやらないほうがいい。
とりわけ、日々の中で、逃げる、誤魔化すという選択を重ねている限り、経営という立場を引き受け続けることはできない。
経営者の姿勢は、非常時ではなく、日常の小さな誤魔化しや逃げの積み重ねに、はっきりと表れる。
経営とは、問題が起きないことではない。
問題が起きたときに、
どう向き合い、
どう判断し、
どう引き受けるか。
その積み重ねによって、結果は大きく変わっていく。
始めた責任は、やめても終わらない。
経営は、入口より出口のほうが重い。
数字に向き合えない人に、経営は務まらない
もう一つ、はっきりしていることがある。
数字に向き合えない人に、経営は務まらない。
これは、計算が得意かどうかという話ではない。
数学ができるかどうかとも、まったく別だ。
経営に必要なのは、数字を使って答えを出す力ではなく、数字から目をそらさない力である。
売上、利益、資金繰り。
都合の悪い数字ほど、早く見て、早く判断し、早く手を打つ。
数字は嘘をつかない。
だが、見ないという選択をした瞬間から、経営者は自分を誤魔化し始める。
これまでにない売上の可能性や、予期せぬ経費、想定外の環境変化まで含めて数字で捉え、先を読んで間合いを取れるかどうか。
それこそが、経営における「数字に強い」ということだ。
その他にもある。
これまでにない売上の可能性や、予期せぬ経費、想定外の環境変化まで含めて数字に置き換え、先を読んで間合いを取れるかどうか。
そこに、経営者としての力量が表れる。
社長の経験
私自身も、かつてレストラン事業を始めたことがある。
計画段階ではワクワクしていたが、実際に始めてみると、次第に「何かが違う」と感じるようになった。
オープンの日には、正直に言って「これはまずいことをしてしまった」と思っていた。
その違和感は時間とともに大きくなり、事業は2年を待たずに、撤退するという判断をした。
続けるほど、疲弊していく感覚があったからだ。
やめると決めたとき、逃げずに、順番にお世話になった周囲の人たちへ、正直にその判断を伝えた。
それは今振り返っても、間違っていなかった判断だったと思っている。
この事業に挑戦できたのは、農業の現場を支えてくれた仲間や、
一緒にスタートしてくれた妻や妹の存在があったからだ。そのことには、今でも感謝している。
やってみたからこそ、資金繰りの厳しさや、異業種で事業を行う難しさを、身をもって知ることができた。
そして、このときの判断を支えたのは、数字から逃げなかったことだった。
売上や経費、資金繰りを直視し続けていたからこそ、傷が深くなる前に、黒字のうちに撤退するという判断ができた。
その経験があったからこそ、今、私はメロンの事業に集中できている。
振り返れば、あのときの判断も含めて、すべては今につながっている。
まとめとして
経営は、続けることも、やめることも、どちらも責任を引き受けた上での判断だ。
逃げずに向き合い、誤魔化さずに判断し、数字からも、人からも逃げない。
その覚悟を引き受けられるかどうかが、経営という立場に立ち続けられるかを決める。
※この文章は、私自身の過去の経験をもとに、経営という立場についての考えを整理したものです。
求職者が今後のキャリアを考える際の参考として掲載しています。
